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オキーフに会いに

国立新美術館で開催されている「モダン・アート,アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション」に出かけた。その名のとおり、アメリカの近代美術の歴史を眺めるような時間となった。 思い出せば中学校時代、美術の時間が好きだった。なかでも色を組み合わせてグラデーションをつくるプロセスが好きだった。 形があって、ないようなもの。あいまいなものを表現していくことが好きだった。だから、同じような表現を見ると刺激され、惹きつけられる。ジョージア・オキーフの作品が好きな理由もそんなところにあるのかもしれない。 オキーフの作品は「自然と抽象」というテーマのもとに展示されていた。今回、展示されている彼女の作品で一番好きなのは「白地に暗赤色の大きな葉」。ポスターに使われている「葉のかたち」より好き。 彼女の作品を見ていると、自分が作品のなかに降り立っていることに気づく。心が体をするりと抜け出して、そこに降り立っている感じ。 描かれてる色、形、テクスチャをなぞっていく。その触感に心がざわめく。表面は美しく、なだらかであるけれど、そこに内包されている何ものかが強く訴えてくる。覗き込んでも見えないけれど、それは奥底に確実に存在している。なのに、私たちはそれが存在していないかのように振舞っている。 彼女の作品は、しばしば「官能的」と表現される。何かを暴露すること、露にすることは生々しさを伴うが、それ自体は直接のテーマではなく、見る者のなかに起こる快感や抵抗、拒絶といったものこそがテーマなのかもしれない。オキーフは、私たちが通り過ぎてしまわないよう、やさしく誘っているかのようだ。

ただ見る、そして感じる

「モダン・アート」展を巡るなかで、今までとは作品の見方が違っていることに気づく。 ただ見る、そして感じる。それがとても自然に、スムーズに起きていた。 これまでは、考える、理解するというプロセスも自然に起きていたけれど、今は、それらを脇に置いている自分がいた。少しリラックスして、作品に向き合えるようになったのかもしれない。そんな風にして作品を丁寧に見ていくと、さらに見えてくるもの、感じるものがあって、「これが自分の主観なのだ!」と気づいていくプロセスも面白かった。 たとえば、景色を描くとしたら、ロマン主義、印象派の絵画より、写真作品の方が好きであることに気づいたり。形象主義やキュビズムに、意外と不自由さを感じたり。主観とは実に勝手なものなのだ。 私にとって印象的な作品とは、探索する喜び、発見する喜びを与えてくれるもの。自分のなかに波紋を広げてくれるもの。 アルフォンソ・オッソリオ「母と子」 アクション・ペインティングの手法で描かれているようだが、とても繊細な作品だと思う。曼荼羅のように緻密でスペイシー。じっと見つめているといろいろなものが見えてくる。本当に飽きない。 彼はジャクソン・ポロックの友人だったらしい。そのポロックの展示会も来年2月に開催される。 クリフォード・スティル「1950B」 厚く塗り重ねられた絵の具、色の配置やバランスの妙で、絵のなかにある丸い部分を通して、自分のなかを見せられているような気分になる。キャンバスに描かれた作品なのに、自分の内面にまで立体的に広がってくる恐るべき作品。ぱっと見ただけでは気づかない、魔法のような作品。 そういえば今月、サザビーズのオー

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