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仮面の目力

新国立美術館にて開催中の「イメージの力 ー国立民族学博物館コレクションにさぐる」展に出かけた。 いつか行きたいと思っていた民博のコレクションが見れるなんて、またとない機会!と思ったのだが、感想としてはやや期待はずれだったかな。私は博物館の薄暗い感じが好きなので、美術館の白い背景に違和感を感じたのかもしれない。テーマ構成の後半が面白くなかったという、個人的な好みだろうか。とにもかくにも、コレクションは民博で見るべしという結論になった。 この展示において、私の一番のハイライトは、会場を入ってすぐにある、仮面の部屋だ。仮面の多くは、大きな目や大きな口、大きな鼻のいずれかを持っているが、なかでも印象に残るのは目なのだと気づかされる。その目に瞳が描かれるか、否か。そこに私の心は釘づけになった。 たいていの仮面には、瞳が描かれている。瞳は、視線という方向性を生みだし、仮面を力強い意志をもった存在にする。 一方で、目があっても、瞳が描かれていない仮面もある。私の心を釘づけにしたのは、こちらの方だ。瞳がなくても、私にはそれが命を持っているものだと思える。でも、どんな意志を携えているかわからないから、薄気味悪い。その仮面の裏には、深い闇が広がっているようで、 底知れぬ恐ろしさを感じる。でも、見ないではいられない、不思議な存在だ。 瞳を描くことと、何かの意図をもつことは関連するのだろうか。たとえば、達磨には願をかける時に片目に筆を入れるが、同じようなことが仮面にもあるのだろうか。瞳のない仮面が気になってしょうがないのは、意図をもつことが苦手な私を反映しているのだろうかと、ふと思ってしまう。

図書館での収穫

久しぶりに図書館に出かけた。 図書館に行くのは、時間の制約がない時に限る。急いでいたら、今、必要な本に出会えない。昔は貸出数の上限まで借りていたが、今は最小限で最大の読み応えを与えてくれるものだけを借りる。時に、害にも益にもならない軽い本も借りるけれど、2週間という限られた期間で返さないといけないものだから、できるだけ最小限にしたい。 いつも訪れるコーナーはだいたい決まっていて、そこで借りる本が決まらないときは、範囲を広げて見つかるまで歩き回ったりもする。今日は幸いなことに、比較的すぐに出会えた。一冊目は、アーノルド・ミンデルの『大地の心理学 ー心ある道を生きるアウェアネスー』だ。この本で紹介されている内容は、実は彼のワークショップに出た時に紹介されたことだった。ワークショップが開催されたのが2004年。10年後の今、ワークショップに参加した当時の資料やメモを片手に読んでいるが、実に面白い!アウェアネスについて、もっともっと繊細に、体験的に向き合おう。そんな静かな興奮が満ちてくる。 この一冊でも十分、と思いながらも、外国小説で面白いものはないかと思い立ち、コーナーを移動。そこで出会った2冊目が、ヘルマン・ヘッセの『わがままこそ最高の美徳』というエッセイ集。ヘッセから「わがまま」という言葉が出てくると思わなかったけれど、ちょっと我が意を得たような気がして嬉しい。以前、「自分の性格を一言で表すと何か」と尋ねられた時、私は「わがまま」と答えたことがある。いい意味で使われることがない言葉だけれど、わがままは、孤独と兄弟のようなもので、驕らない程度であれば誇ってもよい気がするからだ。とは

終わりと始まり

2014年3月末をもって、青山にあるUp for Yogaでのクラスを終了することとしました。 それまで自分が主宰するサークルでしかヨガを教えたことがない私にとって、ヨガスタジオでの初めてのクラスだったので、担当が決まった時は、飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。また、週5日はヨガスタジオのマネージャーとしてデスクワークをしていたので、毎週1回、ヨガを教えるスペースが用意されているというのは、本当にありがたいものでした。 だからこそ、このクラスを離れる決断をするプロセスは、自分が何をしたいのか自問自答するプロセスになりました。 ヨガを教えるようになって3年以上が過ぎた今、自分の中で深めたいことが少しづつ見えてきたような気がします。自分の中に芽生えているものを温め、育む時間がほしいと思ったことも、今回の決断の後押しになりました。 青山のスタジオで出会えた方と離れるのはさびしいですが、きっとどこかで再会できるような気がしてなりません。その時までに、また一歩、成長できていますように。

© 2015-2020 Fumi Kashiwagi