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私はヨガスタジオで受付を担当している。初めてスタジオを訪れた人が、受付担当者にもつイメージは、思った以上に大きいと気づかされたことがあった。

スタジオに来る前から、私のことを写真を通して見ていた人が、スタジオで受付したのが私だったと気づいたのが、しばらく後だったと教えてくれた。写真では笑顔が特徴的だったから記憶に残っていたけれど、実際に初めて会った時は笑顔でなかったから、気づけなかったという。

こんな体験を聞かせてもらうこともそうないので、知ることができて本当によかった。初めて会う人が、笑顔であっても、笑顔でなくても、記憶に残る。その記憶は必要な時まで表に出てこないかもしれないけれど、残ることには間違いないようだ。

初めての場所に行き、初めて会う人と言葉を交わす。それを思いつきでパッとできる人もいるし、恐る恐るという人もいるだろう。ただ、訪れた場所の居心地はどうなのか、会う人は安心できそうな人なのか、それは誰もが無意識にでもアンテナを張って確認しようとしていることだろう。全身でアンテナを張った記憶が体に残るのは、もっともなことだ。

自分の体験を振り返っても、初対面の印象というのは、拭い去りたくても残っている。つまり、その後のやり取りで上書きされるものではなく、その時の体験は、事実として記憶されたままな気がするのだ。

だからといって、いつでも初めて会う人に愛想よくしたい、というつもりもなく。時として、ややこしいことに手いっぱいになっていて、笑顔で迎えられないこともあるだろうから。ただ、人は初めて訪れる場所、初めて会う人に歓迎してもらいたいと願う。そう思うのは誰しも同じだろうから、その願いは自分のものでもあると受け止めて、人と接することを忘れずにいたい。

私は、あなたが訪ねてきてくれたことに感謝しています。

私は、あなたを心から歓迎します。

国立新美術館で開催されている「アンドレアス・グルスキー展」に行ってきた。きっかけは展覧会のポスターになっていた、カミオカンデ(ニュートリノの観測装置)をモチーフにした作品に惹かれたのだ。

写真なのだけれど、人間の視野では捉えきれない範囲までが均質に映し出されているから、絵画のようにもみえる。水面には白いスーツのような服装の人間が乗ったボートが2艘も浮いている。現実的ではない光景だけれど、カミオカンデは現実に存在している。この、現実と非現実が混じっているような感じが大画面で展開されているのが魅力なのかもしれない。

実際に彼の作品を目の前にしたら、想像以上に大きなサイズだった。視界に収まり切らないほどの大きさで、作品のどこから見ていくか、どのくらいの距離から見るのか、体が無意識に探っているのがわかる。静止画なのに、作品を見ていると、音が聞こえてきたり、吹いてくる風の温かさや湿り気までが感じられる。まるで映画のワンシーンに入り込んでしまったような気分になって、すっかり作品に入り込んでしまった。

画面のすべてが均質にフォーカスされている世界は、人間には決して見えない景色で、この瞬間を止めることができる者だけが見ることができるものだった。実際、グルスキーは、2つの定点から撮影したデータを統合したり、人工物を消去したり、色合いを調整したりと撮影データを加工して、作品としている。リアリティを素材にしつつも、実際は誰も見ることのできない世界を作り出しているともいえる。

作品を通して、いろいろな感覚がもたらされることに、だんだんと静かな興奮を覚えてきた。そのうちに、これは宗教的な体験と近しいような気もしてきた。すべての均整がとれていて、等しく美しく存在している世界が広がっている。鳴り響く音楽に気分が高揚していく。曼荼羅を見ているときも、同じような体験が起きていたような気がするのだ。一瞬、作られたものに感じ入ってしまう怖さを覚える。

思いがけない出会いもあった。なんと、ポロックの「インディアンレッドの地の壁画」を撮影した写真が作品になっていたのだ。ポロックの作品を、写真家の作品を通して体験をできるなんて!

先日、茅ヶ崎に住んでいる友人の好意で、人生初のサーフィン&ボディーボードを体験することができた。

表現として「波に乗る」という言葉のもつエッセンスが好きだったこともあって、サーフィンには以前から興味があった。しかし、幼少期からの水に対する恐怖心が手放せなくて、チャレンジする選択はいつまでたってもできずにいた。

そんな私の波乗り体験は、「いやっほー」と叫ばずにはいられないくらい、実にエキサイティングで楽しい体験だった。波に乗っている瞬間は、時間にするとほんのわずかなのに、一瞬一瞬に生じる感覚が普段の何倍もあるんじゃないだろうか、と思うほど密度が濃かった。「波に乗る」という言葉のもつ奥深さを感じずにはいられないほどだった。

ボードに立とうとチャレンジするも、バランスを崩して海に落ちること10回以上。しかし、海の中で焦る自分を冷静に見ていられるくらい、落ち着いているもう一人の自分もいた。そして、水に対する恐怖心から、ずいぶんと解放されていることにも気づいた。

陸に上がってから、その理由にぼんやりと思いを馳せていた。そこで感じたのは、サポートしてくれた友人の存在だった。できても、できなくても、もう一度チャレンジすることを快く見守ってくれる人がいたから、自分も落ち着いていられたのだろう。そこに、クリパルのスピリットが感じられて嬉しくなる。

© 2015-2020 Fumi Kashiwagi