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キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットのライブに出かけた。トリオ結成30周年記念公演と銘打たれたライブは、トリオでの最後の来日公演となるらしい。私にとっては、最初で最後のトリオ公演だ。

会場となったオーチャードホールに入るのは今回が初めて。足を踏み入れた瞬間、ぞくぞくと身震いがした。少し早めに到着したこともあって、人影もまばら。そのせいか、一つひとつの音の響きが際立って感じられた。なぜか、「うーわー、ここで演奏するんだ!」と、興奮と緊張感がやってきた。この人、さも自分がステージに立つかのようにワクワクしている。

今回は、欲張って2公演を予約。ともに1階席をとったが、1公演目は、1段高い席からトリオが真正面に見える席。前の人の影を気にすることなく、全体が見れるという夢のような席だった。そして2公演目は、1公演目より前列の左側の席。1公演目はキースの横顔や手元がよく見えたが、2公演目はキースの背中がよく見えた。その背中を見ながら聴いていると、キースの中に流れているプラーナが感じられ、一体感を覚えるほどだった。

大きなホールでジャズトリオを聴くのは久しぶりだったからか、公演が始まってしばらくは、音の全体がつかめないもどかしさを感じていた。ピアノを聴くと、ドラムの音が聴けない。ドラムを聴くと、ベースが聴けない、というように。まだ、自分のチャネルが十分開けていない、準備ができていなかったのかもしれない。

曲が進むごとに、大きな音から小さな音までが、リズムとともに混ざり合って、波のように表情を変えていく様を楽しんでいる自分がいた。3人の奏でる音のバランス、重なりの奇跡がどんどん聴こえてくる!それは、3人の物語を聞いているようだった。

キースは、全身でピアノを弾く。背中を見ているだけで、そこから語られるものに、心が動かされる。この人の語りをずっと聴いていたい、そう思わせてくれる人だ。そのキースの奏でる音に、ゲイリーとジャックが躍動感を与えている。ピアノ、ベース、ドラムの音が空気を震わせ、聴いている私の心までも震わせる。音楽をたっぷりと味わう時間をくれた3人に心からの感謝と敬意を。

ワークショップ「クリパル入門~目撃意識~」に参加した。

自分にとってのハイライトの一つは、10分間にわたってBreath of Joyを行った時間。クリパルを続けている人にはお馴染みのシンプルな動きをひたすら繰り返す。

はじめは意識的に、呼吸と動きを合わせて動く。吸って、吸って、吸って、吐く。腕を前、左右、上に持ち上げながら吸うことで、胸の中に次々とスペースが生まれ、空気が流れ込んでくる。上体を前屈させながら吐くことで、身体から空気が抜けていく。

はじめはマインドでコントロールしているが、繰り返すことでリズムが生まれ、自然に呼吸と身体が動いていく。徐々に、今回のテーマである「目撃意識-起きていることを評価せず、ただ寄り添うように見ている意識」の存在に気づき始める。

このまま流れに乗っていくだけのような気がしていた矢先に、胸のあたりに詰まりを感じた。身体はリズムにのって息を吸おうとしているが、胸のあたりは吸うことを拒否している。何度か咳き込んでいたような気がするし、苦しさのあまり涙も溢れてきた。

苦しいという感覚から離れようとすると、「苦しい時はいつでも休んでいいよ」という声が聞こえてきた。しかし、身体はリズムに乗ったまま動き続けている。そこでもう一度、感覚が起きているところに意識を戻すると、「感覚は変わり続けていくから」という声が聞こえた。そのまま身体は、動き続けていた。

そこから気がづいたら、胸のあたりの違和感は薄れていて、ただ動き続けている自分がいた。身体が伸びたり、緩んだりするにつれ、身体の中に広がる世界がどんどん広がっていく。自分にしか見えない世界を楽しむように動き続ける。その世界に没頭しつつ、その気持ちよさに浸っていたいと思う自分も見えてくる。

そんなタイミングで、ちょうど10分間が終了したことを知らされる。実にちょうどいい旅、ちょうどいいトリップだった。

先日、残雪が美しい円覚寺に赴き、座禅体験会に参加した。

同じクリパルヨガティーチャーである、のぶさんと久美ちゃんと一緒に。

座禅に興味はありながらも、なかなか機会をつくれないままにいたので、のぶさんが誘ってくれたのが幸いだった。

円覚寺では、初心者のための座禅の時間を用意してくれており、当日は50人を超える人たちが集った。予想に反して女子率が高く、ジーンズやスカートでの参加者もいたりすることに驚く。座禅も瞑想も、一度は体験してみてもいいよね、というくらい、みんなの手の届くところにあるのかもしれない。

まずはじめに、指導してくれる僧侶の方が、座禅の目的や基本の座り方、意識の置き所などについて紹介してくれる。彼の朴訥ながらも誠実な人柄が伝わってきて、安心した。

座禅とは、「我を忘ずる時間」。座禅では、丹田に重心を置くことで安定した姿勢をつくり、呼吸に意識を集中させる。集中することで我を忘ずることが禅となる。座っていなくとも、寝ていても立っていても、いつでもできるものだ。

このあたりの話は、ヨガに通じるもので、興味深い。

開け放たれた部屋の窓からは、冬の冷気が流れ込んでくる。外で雪かきをする音や、鳥の鳴き声、禅を共有する者たちの小さな息遣い。外からは、感覚を刺激するさまざまなものが流れ込んでくるが、半眼で座禅すると、目を閉じて行う瞑想より、ずっと集中しやすいこと気づく。

また、一度体験してみたかった警策は、集中を維持するのにとても効果的なのだと体感。肩の辺りにじんと残る感覚とつながっていると、自然と肩の力が抜けてきたからだ。この知恵はいったいどこからやってきたのだろう。知恵が型となる、そのプロセスを思う。

© 2015-2020 Fumi Kashiwagi