RECENT POSTS: 

「モダン・アート」展を巡るなかで、今までとは作品の見方が違っていることに気づく。

ただ見る、そして感じる。それがとても自然に、スムーズに起きていた。

これまでは、考える、理解するというプロセスも自然に起きていたけれど、今は、それらを脇に置いている自分がいた。少しリラックスして、作品に向き合えるようになったのかもしれない。そんな風にして作品を丁寧に見ていくと、さらに見えてくるもの、感じるものがあって、「これが自分の主観なのだ!」と気づいていくプロセスも面白かった。

たとえば、景色を描くとしたら、ロマン主義、印象派の絵画より、写真作品の方が好きであることに気づいたり。形象主義やキュビズムに、意外と不自由さを感じたり。主観とは実に勝手なものなのだ。

私にとって印象的な作品とは、探索する喜び、発見する喜びを与えてくれるもの。自分のなかに波紋を広げてくれるもの。

アルフォンソ・オッソリオ「母と子」

アクション・ペインティングの手法で描かれているようだが、とても繊細な作品だと思う。曼荼羅のように緻密でスペイシー。じっと見つめているといろいろなものが見えてくる。本当に飽きない。

彼はジャクソン・ポロックの友人だったらしい。そのポロックの展示会も来年2月に開催される。

クリフォード・スティル「1950B」

厚く塗り重ねられた絵の具、色の配置やバランスの妙で、絵のなかにある丸い部分を通して、自分のなかを見せられているような気分になる。キャンバスに描かれた作品なのに、自分の内面にまで立体的に広がってくる恐るべき作品。ぱっと見ただけでは気づかない、魔法のような作品。

そういえば今月、サザビーズのオークションで、彼の作品が48億円で落札されたらしい。

ヘレン・フランケンサーラー「キャニオン」

下塗りをしていないキャンバスに、薄く溶いた絵の具を染み込ませるステイニングという手法で描かれた作品。

重ねられていない色が透明感を保ったまま、広がっていく様が美しい。色の響きが感じられる。

今年の正月に引いたお御籤のキーワードが「慈悲」だった。

慈悲、すべてをありのままに受け入れる心。

日頃、何かと物事を評価してしまう自分に気づきつつも、なかなかそこから脱せなかった。そんな自分にとって、まさに今、必要なテーマだと素直に受け取ったことを覚えている。

そして、正月から半年以上たった7月から、集中コース「クリパル・ステージ」のアシスタントを務めることになった。1年ほど前に自分も受講して、教師トレーニングに進むことを決意するきっかけを与えてくれたコースだ。

10月からは集中コース「フェニックス・ライジング・ヨガセラピー」のアシスタントも平行して務めるとともに、生徒として集中コース「瞑想」にも参加。つまり、10月終わりから11月半ばは、ステージとヨガセラピーと瞑想の日々。

これだけの濃密な集中した時間をもてたことは、とてもありがたいことだった。なぜなら、ヨガセラピーと瞑想の学びが加わることで、ステージでの学びがぐっと深まり、つまるところは「慈悲」について学んでいたのだと気づけたから。

ステージでのアシスタントとして、生徒のプラクティスをサポートしたり、体験を聞かせてもらう経験を重ねるなかで学んだのは、「見守る」というあり方だった。

与えたことに応えてくれているのか、という尺度でとらえるのではなく、生徒のなかに気づきが生まれた瞬間をともに祝福するというあり方。それは、期待と不安のなかで何かがやってくるのを待つのではなく、誕生と変化の連続である今という時間を大切にするあり方だった。そのあり方を支えるものこそ、「慈悲」の心なのではないか。そんなことを思っている。

Kohei Nawa / PixCell-Elk#2

2009 Work created with the support of the Fondation d'entreprise Hermès

Photo: Seiji Toyonaga

展示には、作品名や解説などを記したプレートがつきものだけれど、この展示ではあえてそれを外して、まずは観る人が主観でその世界を味わうよう促す。

そして、展示を一巡した後に、作品のタイトルやコンセプトをまとめたパンフレットが置かれており、それを手に、もう一巡することを勧められる。

私もその誘いに乗って観て回ったのだが、何の情報もないまま、主観的に作品と対峙したときのほうが、作品を強く感じられ、断然に面白かった。

「何の情報もない」というのは、作者側からの文字情報の提示がないというだけのことで、実のところは、自分が持っている知識や記憶を引っ張り出して、作品を観ているのだ。

だから、自分の主観を形成しているものを否応なしに垣間見ることになる。

心が惹かれたのは、剥製の鹿がビーズで覆われている作品や、人形や乗り物などに白いカビや苔が生えたような作品だった。

自分の知っているものが、息を失って、ほぼ死んでいるようにみえる。

死んでいるけれど、生きてそうな気がする。

そのあいまいな感じに照らされて、反対に自分の生きている感じが浮き彫りになってくるような。

また、この展示で感じたのは、「球体」という形の力。

その内に閉じ込められた生命力に畏敬を覚えると同時に、いつかはじけて壊れそうな、脆さを感じる。

目に見えないくらい小さな球体状をした分子が、この世界にどれだけあふれているかと思うと、せつなくなる。

(東京都現代美術館で8月28日まで開催中)

そして、鑑賞後のティータイム。

ミントティーとモロッコパイをいただいた。

このパイが最高に美味しい。

材料は、デュリムセナ粉、バター、ハチミツ、ピーナッツ、ココナッツアイス、ミント。

これが食べれるんだったら、モロッコに行ってみたい。

© 2015-2020 Fumi Kashiwagi