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    作品におけるリアリティ

    March 10, 2012

    ピナ・バウシュに捧げられた映画「pina」を観てきた。

     

    映画を見終えた後、久しぶりに拍手を送りたい気持ちに駆られた。興奮して、めったに買わないパンフレットを買ったくらい。

     

    実のところ、ピナのことをほとんど知らない。でも、彼女が他のダンサーと違うと言われているのは知っていた。

     

    10代の頃、私は新聞の愛読者(!)で、なかでも演劇や音楽、舞踏のステージ評を読むのが好きだった。舞踏の記事の中にピナは度々登場し、誰もが彼女は特別な存在だと言っていたので、その名前だけは記憶に残った。特別な存在。それが何を意味するのかは分からないけれど、いつか彼女の舞台を見てみたいとぼんやり思っていた。

     

    しかし、ピナは2009年に亡くなる。その記事も確か新聞で読んで、もうピナには会えないのだと知らされた。

     

     

    映画の中に登場するピナの映像はごくわずかだ。でも、その眼差しには、一目で惹きつけられる。

     

    画中では、ピナが芸術監督を務めたヴッパタール舞踏団のダンサー達が、それぞれにピナについて語る。彼らの言葉を通して、ピナという人物が立ち上がってくる。そして、ピナの求めた「探索する」というあり方が舞踏団のスピリットになっていることを思い知る。一人のダンサーの言葉にもあったが、彼らの中にピナが宿っているのか、彼らがピナの一部になっているのか。

     

    ピナの作品では、ある状況が描かれ、提示される。愛、悲しみ、孤独、怒り、笑い。言葉になる間もなく、あふれて、こぼれていく感情たち。そして、言葉にならない想い。それらが起きるままを描くだけで、答えを出さない。だから観る者は、自らに問いかけざるを得ない。

     

    身体表現にリアリティを与えているのが、舞台美術だ。映画は、舞台上に土が撒かれるシーンから始まる。踊るダンサーの衣装や体が土で汚れていき、それが汗でさらににじむ。激しく踊るダンサー達の呼吸音が響く。観るものを惹きつけてやまないその展開。自然に起きることをそのままに見せる。それが鑑賞する作品として精度の高い、美しさを兼ね備えているということが何よりの驚きだ。そして、時に織り込まれるユーモアの数々。もっと彼女の仕事を知りたい。心からそう思った。

     

    映画監督のヴィム・ヴェンダーの仕事も素晴らしい。撮影のロケーションといい、ダンサー達へのインタビューといい、「分かっている!」と叫びたくなる。すべてにおいて、pinaへの愛が詰まっているのが感じられる。

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