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    ヴィパッサナーからのギフト

    January 18, 2014

     

    ヴィパッサナー瞑想コースでの体験を記すことは、2週間近く前のことを思い返すことであり、もしかしたら事実を自分の理解しやすい形に昇華してしまう恐れもある。それを念頭に置きつつ、書きたいと思う。

     

    また、ヴィパッサナー瞑想について話したいのであれば、それは体験から語る以外、意味がないということが自分の中で明白になった。私が語りたいこと、人とシェアしたいことは、自分の体験に基づくものだけなのだということがクリアに見えてきたので、これからも実践し続けることを選びたいと思っている。

     

     

    練習する内容がアーナーパーナ瞑想からヴィパッサナー瞑想に切り替わった頃を境に、自分の中に変化が起きていることに気づいた。

     

    全身の感覚を感じ取りながら、身体を客観的に観察するという行為に取り組み出した時、身体のあちこちで泡が弾けていくようなチリチリとした感覚や、時に電流が流れていくような痺れる感覚に圧倒され、その世界をワクワクして観察している自分がいた。目を閉じて、感覚を頼りに、自分の身体の輪郭をたどっていく行為は、身体マップを作っていくような、探険隊になったような、心躍る作業だった。

     

    瞑想すると、過去の記憶が思い出されてくると聞いていたので、当初は潜在意識に埋れている記憶が出てくることを期待している自分もいた。しかし、私の記憶はほんのたまにしか現れず、大半の時間は、身体のリアルな感覚と向き合うことになった。

     

    瞑想の時間は、長いと2〜3時間ほど続くのだが、座ることに慣れていない私が集中して座っていられるのは40〜50分くらいだった。集中が途切れてくると、立ち上がって外を歩いたり、お茶を飲んだり、切り替える時間をもっていたのだが、そこでも、感覚に注意を向けるという行為は続けているように指導されていたので、できるだけ感覚とともにいるようにした。

     

    自分の変化を感じたのは、そうした合間の時間だった。感覚に伴って生まれてくる波動のようなものを感じていると、不思議と慈しみの心が湧き始めたのだ。慈しみの対象としてよく現れたのは、母だった。この先、もっと母と一緒に時間を過ごしたいという思いや、一緒にヨガをする時間を作ろうというインスピレーションも湧いてきた。それ以外にも、仕事先のスタジオのことや、日頃接している人達、過去に出会った人達のことも浮かび、それらを慈しむ心が湧いてきた。

     

    湧いてくる想いを見ている「意識」は「私のもの」という認識はあるものの、想いそのものは、感覚が持っているもののように感じられ、「見ている私」とは関係なく、勝手に生まれてくるもののようだった。だから、たとえば「母のために○○をしたい」と思うのは、私というより、身体の感覚の中に埋め込まれている何かが望んでいることだった。私の意識は、感覚が望んでいることを「そうなのか」と見ているに過ぎないのだった。その意識と感覚の関係性に気づいたこと、そして自分の中にこれだけの慈しみが潜んでいることに驚いた。

     

    慈しみから生まれるインスピレーションは数知れず湧いてきて、その都度、メモをとりたくなる。しかし、この瞑想コースでは、参加するにあたって一切の筆記用具を手元に残さず、預けるルールになっていて、書き残すことができない。自然と、インスピレーションの持っているエネルギーとともに、その想いを胸にしまうことになる。

     

    そんなことを繰り返すうちに、想いを自分の胸に秘めておくこと、それを行為に移すまで保持しておくということが、エネルギーの純度を高め、行為につながるエネルギーへと十分変換されるために必要なもののように思えてきた。胸にとどめることができたものは、実現するに値するものだし、その想い、エネルギーがストレートに表現されそうな気もする。

     

    普段は、思いつきをすぐに書き残したり、人に話したりと外に出してしまうことが多いのだが、そうすることで自分の中で満足して、表現したつもりになってしまったりする。エネルギーが変質して、行為に至らないこともあったかもしれない。

     

    感覚にフォーカスするという、ごくごくシンプルな行為が、自分の中に潜んでいる想いに出会う入口となったことが、何とも不思議だった。それには、自分自身を長い時間、瞑想状態に置くことが必要だったということも、体験を通して理解できたように思う。

     

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